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更新日:2024年1月17日
茅場さんは2015年に福岡から移住(Uターン)され、新規就農研修経て独立(ピーマン農家)されました。
移住されたばかりの2015年と5年経った2020年の2回、取材させていただきました。茅場さんの声をお聞き下さい。
5年前新規就農研修を終え、今は生産組合の一員として独立して10アールのハウス3棟でピーマン生産をしています。
基本、日が昇っているうちは仕事で、ほとんど家とハウスを行き来してます。
作業は主に妻と、姉の3人でやっていますが、収穫時期など繁忙期には吾平農協にお願いすれば、人手を手配してもらえるので大変助かります。
一言でいうと「就農してよかった。」
長男がもうすぐ今年高校を卒業するんですが、その後の進路を子供が望むところに行かせてあげられる経済的余裕ができました。
これは自分だけの力ではなく、困ったとき、相談した市の担当者さんやJAさん、周りの農家さんからのアドバイスのお陰だと思っています。
1年目は目標にする生産高を上げられましたが、2年目に虫害被害で目標高が達成できませんでした。
今年も台風被害で苗が倒れましたが、地域の方のアドバイスのお陰で修復できました。
何とか目標高に届くように頑張ります。
やりすぎなくらい地元に溶け込んで『地域の人の生の声』を聞くことが大事だと思います。
私は消防団やおやじの会に入ったり、PTA行事にも積極的に参加して父兄とのつながりも増えました。
「移住して農業だけ頑張ろう」というだけでは難しいと思います。
農業は一人でやっていると、辛い時に一人で抱え込んで離農してしまう人もいます。
理想と現実は違うと思うので、つまづいたらまず、市役所や農協などに相談する事が大切です。
周りにいる農家さんはみんな同じような思いをしてきているので、情報共有や助け合いをすることで語り合える(飲みにも行く)仲間ができました。
先輩農家さんは今まで培ったものを惜しげもなく教えてくれます。
移住する前はサラリーマンでしたが、こんな経験はなかったです。
問題や不便などはなく、住みやすいです。
Uターンです。
資格を取って手に職をつけ、いずれ自営で何かしたいと漠然と考えていましたが、鹿屋からちょっと離れた都会で暮らしたいという気持ちもあり、高校卒業後、福岡で専門学校に通い、20才~39才迄車の整備の仕事をしていました。
長男が中学校入学前といったことや自分自身も40才前という節目みたいな時期にさしかかり、ふと立ち戻り考えた時、自営の思いが膨らんできて、妻の実家がある吾平町に移住しました。
今、新規就農研修者としてピーマンの栽培を指導してもらっています。
指導員の方が何十年もかけて習得されたノウハウを惜しげもなく教えて頂いていることをとてもありがたく思います。
学ぶことが多く、毎日が新鮮で充実しています。
一番の心配は子供が馴染めるかなという思いでしたが、中学校で部活にも入り元気にしています。
福岡でのサラリーマン生活では子供達と一緒にいれる時間が少なかったですし、吾平は子育てにはいい環境だと思います。
経済的な不安はありますが、今は辛抱だと思っています。
他にも不安な事は沢山ありますが、親や妻の両親、市やJAさんに相談して一つ一つ解決しています。
指導員さんをはじめ「吾平の皆が良くなれば」という地域の思いを感じます。
インターネットで何でも情報があふれています。
年齢にもよるでしょうけど、移住したいという思いが強いのであれば、誤った情報に左右されず自分で問い合わせ、思い切って飛び込んでもいいと思います。誰でも漠然とした不安はあるとは思います。移住すれば具体的な不安が見えてきます。
その不安を一つ一つ解決していくしかないです。
食べ物・空気・自然・子育ての環境ですね。
子供の挨拶が素敵です。横断歩道で車を止めたら、渡り終わった小学生に「ありがとうございました。」とお辞儀された時は感激しました。
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