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更新日:2026年6月17日

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【第15路】岡崎古墳群

サムネイル

岡崎
▲岡崎古墳群

3~4世紀の日本では、権力の象徴として「古墳」が近畿地方を中心に盛んに築造されました。様々な形の古墳のうち大仙陵古墳のような前方後円墳も日本各地に造られるようになりました。
志布志湾に面した肝属平野一帯では、塚崎古墳群(肝付町)、横瀬古墳(大崎町)、飯盛山古墳(志布志市 ※現在は消滅)など、多くの前方後円墳が見られ、特に唐仁古墳群(東串良町)の唐仁大塚古墳は全長180mもの大きさで県内最大の前方後円墳です。また、鹿屋市でも串良町の岡崎古墳群に前方後円墳が2基見つかっています。これは、大和政権とのつながりがあったということを意味します。
岡崎古墳群は5世紀前半のものと見られており、1985年からの調査で、住宅横や竹林の中に、12基の古墳がこれまで確認されています。中でも15号墳は全長25mの帆立貝型の前方後円墳で、石棺の内外からは甲冑片やヒスイ製の勾玉なども出土しています。また、前方後円墳のくびれ部に、地下式横穴墓が造られているという珍しい例も見られました。串良町の立小野堀遺跡や町田堀遺跡でも大規模な地下式横穴墓群が見つかっており、大和政権に従いながらも鹿児島、宮崎だけに見られる伝統的な地下式横穴墓を造っていたことには強い意思が感じられます。
さらに岡崎古墳群からは、朝鮮半島で作られたと考えられる鉄鋌、U字形鍬鋤先などの鉄製品や琉球のイモガイ製貝釧などの副葬品が良好な状態で見つかっており、古墳時代の交易が朝鮮半島や琉球など、広範囲に及ぶ地域とつながっていたと考えられています。
出土品の一部は串良ふれあいセンターに展示してありますので、太古のロマンを感じに見学してみてはいかがでしょうか。

まが玉
▲勾玉と管玉

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