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更新日:2026年7月15日
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▲黒ぢょか=主に鹿児島県で使われる
焼酎専用の陶磁器製土瓶(酒器)。
鹿児島には、一日の疲れを癒す晩酌を「だれ(疲れ)やめ(止める)」=ダレヤメと呼ぶ文化があるように、鹿児島の文化と焼酎には密接な関係があります。
鹿屋市では江戸時代中期以降に甘藷が伝来・定着し、古くから焼酎が造られてきました。本市の歴史・地理・文化・産業などを記した『鹿屋市史』(平成7年3月発行)には、「焼酎は農漁民たちの唯一の楽しみであり、明治初期の十余年間は、自宅で造って飲めた」と記載されています。明治
32年には焼酎の自家製造が禁止され、焼酎は許可を得た酒造のみで造られるようになりました。
時は流れ、戦後になると大手メーカーでは次第に機械化が進み、高品質・低コストの焼酎が市場に出回り始めました。そのため、大手メーカーに対抗すべく複数の酒造が協業化し、新たな酒造会社となる動きが生まれました。
本市では、昭和46年に吾平町上名に4つの酒造会社の均等出資のもと、小鹿酒造協業組合(現・小鹿酒造㈱)が設立されました。昭和50年には、白崎町に9つの酒造が集結して大海酒造協同組合(現・大海酒造㈱)が誕生、昭和63年には大根占町神川(現・錦江町)にあった神川酒造が本市で引き継がれました。
水はけのよいシラス台地を土台とする本市は、国内有数のサツマイモ産地。そのため、小鹿酒造は農業法人を設立し、原料からの一貫生産を確立。大海酒造は市内の契約農家との連携によって鮮度にこだわった原料の調達を行うなど、本市ならではの焼酎造りを実施しています。
今ではフルーティー系やお茶割り用など様々な種類の焼酎が販売され、幅広い世代に合わせた焼酎が製造されています。時には家族で鹿屋の薩摩焼酎を味わってみませんか。

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