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更新日:2026年8月19日
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笠野原台地における水汲みの
様子。牛に綱を引かせていた。
シラス台地として有名な笠野原台地は、今でこそ畑地かんがい事業によって水で潤い、様々な作物が栽培されていますが、かつては、水が乏しく農業用水だけでなく、飲み水の確保にさえ苦しんでいました。
笠野原台地のシラスの層は数十mもの深さがあり、雨が降ってもすぐ地下に吸いこまれてしまう保水性のない土壌。そのため、水の確保が困難であり、長い間耕作ができませんでした。
江戸時代には「堀」と呼ばれる土手を築き、領有を示すことで少しずつ台地が開発されていきました。堀の中では、底を粘土で固めた深さ約1mの池を掘り雨水をためたり、大木に縄で杉の葉を縛り付け、幹を流れ落ちる雨水をカメにためたりして水を確保していました。水は時間が経つとボウフラが湧いてくるので、いざ水を使うときは、カメの縁をコツコツたたいてボウフラが驚いて底の方に沈んだ瞬間にひしゃくでくみ取る「タタキ水」を使用していたといいます。その水を使わないといけないほど水は貴重であり、大切に使用していました。
また、笠野原台地では生活用水確保のため、他地域では見られないほど深い井戸がいくつか掘られました。そのうちの一つが「土持堀の深井戸」です。現存する井戸のうち最も原形をとどめているもので、井戸の深さ約64m、表面の直径は約90㎝、円筒形の素掘りの井戸で、掘られたのは文政年間から天保年間ごろ(1818年~1841年)と考えられています。深井戸のため、大人5人程の労力で水を汲み上げる必要があったので、土持堀の深井戸では、牛に綱を引かせて水を汲み上げていたそうです。
この深井戸は、笠野原台地の開発の苦難の歴史を物語る貴重な文化財として、昭和57年に鹿児島県の指定史跡に登録されています。
●土持堀の深井戸
場所=串良町細山田5323

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