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更新日:2026年10月21日
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霧島ヶ丘公園内には、本市ゆかりの
オリンピック選手の記念モニュメン
トや手形が設置されています。
9月19日〜10月4日に32年ぶりに日本(愛知県・名古屋市)で開催されていた「第20回アジア競技大会」。4年に1度開催されるアジア最大のスポーツの祭典で、アジアの45の国と地域が参加し、様々な競技・種目で磨き上げられた技を競い合いました。本市にゆかりのある選手として、鹿屋体育大学4年の梅澤幹太選手が自転車競技で金・銀メダル、中学時代を本市で過ごした西小野皓大選手が競泳男子200m背泳ぎで金メダル、本市を拠点に活動しオリンピックにも出場した岡澤セオン選手が、ボクシング男子70キロ級で銅メダルを獲得しました。

▲カナダで開催された「モン
トリオールオリンピック」
での内山選手
近年、本市ゆかりの選手が世界の舞台で活躍する姿を目にすることが増えてきましたが、過去に行われたアジア競技大会において、本市出身のボクサーが銅メダルを獲得していたことをご存じでしょうか。内山昇選手は昭和29年生まれの鹿屋中学校・鹿屋工業高校の出身で、高校在学中にアマチュアデビュー。その後、中央大学ボクシング部に所属し、昭和49〜51年の「全日本アマチュアボクシング選手権大会」のライトフライ級で3連覇を果たしました。また、昭和49年にイラン(テヘラン)で開催された「第7回アジア競技大会」では、銅メダルを獲得したほか、昭和50年のアジア選手権で銀メダル、昭和51年の「モントリオールオリンピック」への出場も果たしています。
内山選手の実績は華々しく、プロへの転向も期待されましたが、大学最後の試合で目を負傷し、引退となりました。後に内山選手は「ボクシングで苦い思いも経験したが、ボクシングを通じた様々な出会いが今の自分を支えている。」と語りました。

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