更新日:2025年9月3日
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市民の皆さまよりいただいたお便りを掲載しています。
これからの地域活性化に期待しています。
頑張る若い人たちへの支援もお願いします。
トートバッグ、素敵なデザインなのでぜひ欲しいです。
よろしくお願いします。
特攻隊出撃基地の街鹿屋は、世界平和を願う発信地としていき、更に次世代を担うお宝である多くの若者が残り発展させて行き、そこから鹿屋を開運させたいです。
KANOyeah!cityがほしいです。
Tシャツとか色々作ったらいいのになぁ。
スクールエールに興味を持ちました。
部活として活動人数が少ない中、商品開発に向けての活動はとても素晴らしいと思いました。
ドレッシング等、地元事業さんと協力しての開発用品等見ますね。
私の子どもも部活に入っていますが、新人を含め5人での活動です。
様々な大会参加は厳しい状況ですが、継続する事の大切さや、部活動としての活動が出来ることへのありがたさや人の繋がり等、学んで貰えたら嬉しいなと思っています。
市内への進学者も多い大隅地区ですが、このような頑張りにエールを送り続けると共に、親としても協力して行きたいと思います。
毎月楽しく拝見しています。
鹿屋街道で紹介された所は夫婦で訪れる事が楽しみになっています。
鹿屋に生まれて現在も住んでいるのに、知らないところが沢山あるものだと感心します。
これからも楽しみにしています。
広報紙を二年間綴じているんですが、初めの頁と最後の頁を反対にしてもらうと、綴じ穴が右で左側に見開くようになり保存した場合に過去の広報誌が見やすいのですが。
また、パンチ孔を開けて綴じると中央が見られなくなるので、見開いた中央はもう少し開けてほしい。
月二回の広報誌楽しみにしております。
クイズ、イベント情報が好きです。
鹿屋中央公園のサッカー・野球場のバックネットが改修され、綺麗になっていました。
ネットが低かったりフェンスの針金が破損していたりしたので、安全に使えるようになって良かったです。
子どもたちにも安全に使える施設として解放していただきたいです。
プレゼントのサンシャイン池崎さんのバックをみて、いつもファッションに興味のない旦那がこれ欲しいって言ってきました。
17年前に私の実家のある鹿屋に魅力を感じた旦那。
いまだに鹿児島弁が分からないようですが、楽しく田舎暮らしを過ごしています。
広報かのやが月に一度の発行になりページ数も増えているのか、じっくり読んでいると結構時間が経っております。
お気に入りの情報ひろばでイベントをチェックし、カレンダーに書き込み、時には大切な記事を切り取って忘れないよう壁に張りつけています。色々な情報いつもありがとうございます。
鹿屋街道「なんこ」と焼酎を読んで、今は亡き父を思い出しました。
毎週土曜日飲ん方をして、必ず「なんこ」をしていました。
焼酎も入り、力強い声でお互いなんこ珠を出し、子ども心になぜ数でなく言葉で言うのか分からなかったけれど、応援している父の勝った時の誇らしい顔。なつかしく思い出しました。
今度飲ん方をした時「なんこ」をしてみたいです。
元鹿屋市民です。
鹿屋を離れて2年、町並みも変わっていきますね。
7月16日、イオンかのやの、子ども遊園地で初めて子どもを遊ばせました。
この炎天下が続く今日この頃、冷房が効いて室内で遊べて飲食もできる。
とても良い所ができましたね。
子どもも全力で遊び、遊んだ後はガッツリ昼寝をしてくれました。
鹿屋に帰省した時は「イオンかのや」多く利用させて頂きたいです。
広報誌も、イオンかのやで見つけました!
毎日お疲れ様です。
広報はイベント情報や検診日程、市民へのインタビューなどジャンルも幅広く楽しく拝見させて頂いております。
戦後80年という大きな節目で戦争にまつわる話や写真など目にする機会がとても多いです。
「過去の事、他人事」という意識でしかなかった私ですが、残酷さは想像をはるかに絶するものだと確信しました。
親となり年頃の息子をもつ今、わが子を戦地へ送り出すなど心の弱い私には到底できない。
体験を話してくださる方は少なくなる一方…でも「伝える」という事は私達にもできる。
私達には平和を語り継ぐ義務があると私は思います。
戦争を体験された世代が少なくなり、記憶が風化されていくのを恐ろしくも感じますが、子ども達次の世代がしっかりと伝えようと活動していることに心強く思えました。
中西市長のご勇退が発表されました。
3期12年、お疲れ様でした。
私はIターンなので4年程のお付き合いですが、鹿屋市が住みやすく心地よく過ごせているのは、中西市長のお力によるところが大きいと思っています。
その誠実なお人柄は、お顔からしっかりと伝わってきます。ありがとうございました。
私は埼玉県の浦和の出身で、30年以上住んだ東京よりも鹿屋の方がふるさとのように感じます。
魅力溢れる素敵な町です。
毎月楽しみに拝読しています。
サンシャイン池崎さん、鹿屋のグルメでみなと食堂、陣力を紹介されてましたね。
8月1日のかのや夏祭り前夜祭にも来られるそうですね。
東京でも活躍されていらっしゃいますので鹿屋から応援をしたいと思います。
非売品のバッグ当選しますように!
戦後80年だそうですね。
私は戦後10年してから産まれました。
3月で70歳になりました。
私が愛知県に行ってた時に、長崎の会社の係の人に「君はどこから来てるのか」と聞かれて、「鹿児島の串良です」と言い、「大塚山を知ってるか」と尋ねられて、「何回も登っています」と言ったら、「トンネルがある」と言ってました。
見てみたら、入れなくなっていました。
暑中お見舞い申し上げます。
いつも多くの記事、楽しく拝見しております。
非売品のバッグが欲しくて、でも5名様には届きませんが販売してほしいです。
広報かのや毎月多くの情報を期待しています。
戦後80年を見て、コールタールの道路に敵の玉が雨のように降り、敵の玉に当たって倒れる人もいた中、登下校していたこと。
野里が空襲で焼け野原になったことや、写真はないですが木村ガラスや小正陶器、奥山電気、白坂写真館、本屋さんも2軒、おもちゃ屋さん、そして鹿屋村など思い出します。
国際館(当時、大東に私の姉が映写技師をしていたこと。戦争で男手がなくて女が映写していました。
当時は病院もあちこちありましたが、今は少なくなった下駄屋さん、床屋さん、一銭店屋、ミシン屋(現在はリフォーム屋)さん、魚屋さん、旅館と次々に立ち並んでいた鹿屋の町。
あの北田池は今の学習センターの所から水公園跡地ジョイフルの所まで大きな池だったのに、今は可哀相にゴミのたまり場みたい。
こんにちは。初めてお便りします。
私は鹿屋市に住み13年になります。
静かな環境で生活しやすく、ご近所さんも良い方に恵まれ幸せに暮らしています。
リナシアター楽しみです。
神奈川県より夫婦二人で鹿屋を訪れました。
約一週間の滞在中、鹿屋航空基地など行く先々で観光パンフレットを集め、帰宅した今ゆっくりと「広報かのや」を開いています。
地域の皆さまの様子が細かく掲載されていて、とても楽しく拝読させて頂いております。
宿泊した鹿屋のホテルには、至る所に小さな花瓶に生花が生けてあり心和みました。
いただいたお食事はどれも素材の特徴を生かしたなんともやさしいお味のものばかりでした。
この地に住まわれている皆さまの心の豊かさを感じられる旅でした。
また、開聞岳を望む絶景の高須海岸での海水浴は、老齢な私たちにとっておそらく人生最後の特別な海水浴として想い出に残ることでしょう。
広報かのや毎月楽しみにしてます。
今回のバッグどうぞどうぞ5名の中に入れますように!!
おはようございます。
なんでも鑑定団、いつも見てます。
観覧できると良いですが。
サンシャイン池崎さんを起用しているので欲しいと思いました。
特に非売品なので当選するとうれしいです。
よろしくお願いします。
広報かのやの7月号の記事の中の「子ども平和学習ガイド」について、子どもたちが戦後の歴史を学び、次の世代へ伝える取り組みに感動しました。同世代の視点からのガイドはとても心に響くと思います。
平和の大切さや命の尊さを改めて考えさせられました。
いつも楽しみにしております。
デイサービスのお世話になっておりますが、広報かのやのクイズで頭をつかえる間は頑張ろうと考えております。
スタッフの皆さまよろしくお願いいたします。
楽しく読ませていただいております。
7月21日(月曜日)に高須海水浴場で開催された「音まつり」を見に行って来ました。
沢山の方の演奏があり楽しい一日を過ごせました。
先日リナシティかのやを訪れた際、特別企画展と舞台「野里国民学校」を鑑賞いたしました。
企画展での貴重な資料の数々を拝見し、どれだけの尊い命が失われたか、再度戦争に対して深く考えることができました。
また、舞台「野里国民学校」では、当時の若者がどのような思いの中、命を絶たなければいけなかったのか。
自分達よりもまだまだ若い青年達が、守りたい人のため命を失う。
当時の若者達の声はもう聞けないが、鹿児島の演劇人が全身全霊をかけて演じてくれて、心打たれるものがありました。
この鹿屋の地で実際にあったことを初めて知ったと同時に、身近な人たちから多くの後の世代の人たちへ、伝えていかなければいけいなと思いました。
サンシャイン池崎さんのファンなので、KANOYeah!バッグが気になりすぎて応募しました。
鹿屋の美味しいパン屋さん情報が耳に入る機会が多くあったりして、パンが好きな私は時々、鹿児島市内から鹿屋市まで出かけています。県内とはいえ、フェリーに乗って出かけるのは小旅行の気分で、楽しんでいます。
鹿屋はカンパチや焼肉など美味しいものがたくさんあるので、美味しいものを目指して、また鹿屋市に遊びに行きたいです。
お盆の帰省中にたまたま広報かのや見ました。
故郷がいっぱい詰まっており、懐かしさと活躍を自分の家族への自慢としてアピールできました。
サンシャイン池崎さんは鹿屋高校の後輩でもあり、東京でも応援しています。
鹿屋市の繁栄祈念しております。
またの帰省を楽しみにしています。
黒肉沢山食べおいしいでした。
串良特攻基地の近くで育ちました。
小さい頃、練習機が現地で訓練をしていたのを兄弟と見に行って、着陸の迫力に感動していました。
今は桜通りになっており、滑走路の面影が残っており、帰省の都度行っています。
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